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2006年05月31日

Spring is here

2ヶ月ぶりに英語のレッスンを再開。ここしばらく英語から離れていたので、あっという間にふりだしに戻っていた。結局全てはスポーツなのだろう、音楽であっても、研究であっても、人間の活動は全てスポーツ、しばらくやらないと、すぐに勘が失われる。同じ事を繰り返す反復運動は、刺激が少なくて、飽きてしまうことが多々あるが、結局、それを乗り越えなければ、何も創りだす事はできない。逆に、一度極めるレベルまで達することができれば、いくら時間がたってもすぐに勘が取り戻せる。何度やっても、何度繰り返しても飽きないないもの、それを見つけられただけでも、人生かなり幸せに過ごせるんじゃないか。自分がくたばるまでやり続けたいものって何だろう。それを見つけられる人って一体どれくらいの割合なんだろう…。

"Spring has come" は和製英語らしい。春になると、日本人はグリーティングカードに、こぞってそう書くので、ネイティブは驚くらしい。この "Spring has come" は唱歌の「春が来た」が英訳されたものらしく、普段使う言葉ではないらしい。もし、「春ですね」というニュアンスの挨拶をするなら、"Spring is here" とか "It's spring time" とかって言うのだそうな。恐るべし文部省唱歌…。

英語の発音練習って、かなりいい発声法なんではないかと思う。逆に言えば、歌がうまい人は英語はすぐに喋ることができるような気がする、たとえ意味がよく分かんなくても…。結局、ブローカの運動不足はこういうところにも影響が出てきている。とにかく、運動だ。身体を動かすことも、頭を動かすことも、あまり違いはない。ただ単純化して運動を続けるんじゃなくて、常に変化することを意識しながら、毎日練習を積み重ねていくことが、いい歳のとり方につながっていくのだと思う。

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2006年05月30日

カレー味の法律

今日は友達とインド料理を食べに行く約束をしていた。それなのに、教授とのミーティングで、学校を出る時間が遅れてしまい、結構焦る。ミーティング自体は、僕のプロジェクトの推進を許可してくれるものであったから、実のあるものだったのだが、でも時間が…。僕が住んでいる新松戸に本格的なインド料理屋があったので、そこでカレーやナンを注文。この間みたいに食べ過ぎないようにと肝に銘じる。彼女と会うのは、一年ぶりくらい、その間に進路を考えていたようなのだが、最終的に司法試験を受けることにしたらしい。ステップとしては、法科大学院に入学して、新制度を活用するという流れ。法科大学院を卒業すれば、司法試験で30%の人が合格するらしい。確かに今の難関さから察するに、希望は持てそうな数字だ。

法科大学院に入るには、まず適性検査を受けなければならない。その試験は日弁連法務研究財団大学入試センターが行うものがあり、論理力、分析力、読解力、表現力を問う問題らしいのだ。法律の知識は一切求められないが、なんかIQテストみたいな感じ、文章中にある論理構造を見抜けるかが重要なのであろう。彼女はその模擬試験を柏で受けた帰りであった。で、以前の模試の大学別判定を見せてもらったら、全部A判定。東大が一番難しいのか分からないけれど、東大もA判定だったので、まず大学院に入れないことはないんじゃないか。偏差値70オーバーなんて数字、久しぶりに見たからたまげてしまった。

実際の入試では、適性試験だけではなく、小論文や面接を大学ごとで課して、トータルの成績で判定するのだろう。大学によっては志望理由書に重点を最も置いているところもあるようだ。なにはともあれ、波乱万丈な彼女の人生にちょっとしたブレイクポイントとして、法科大学院は大きな価値を持つものなのかもしれない。

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2006年05月29日

宝箱の中

ブラックボックスの中は複雑怪奇。だから、そのブラックボックスをなんとか説明しようと、星の数ほど研究が行われている。そう簡単に分かることではない、それゆえに、理解できる形を提示した時の快感は想像絶することであろう。それだけ物事の本質を理解するのは難しいことなのだが、少しでもいいから難しいことを理解できるようになると、人生観がグッと深まるような気がする。いつまでも上辺だけの理解では、外側の輝かしい現象が見えても、箱の中にある宝石を取り出すことはできないのだ。箱の中に手を入れてみる挑戦が、人間の成長を常に支えている。

義務教育で習うお勉強は、とりあえず、外から見える現象を観察してみよう。という視点が基本のように思う。そこからある種の法則性を見出して、定式化したものを先生が教えてあげるのだ。教師の方も、それだけで十分だと思っているから、生徒の「なんでそうなるの?」の疑問に答えられないことが多い。その現象に潜んでいるブラックボックスをどれだけ知っているかが教師の技量と比例しているのは間違いないであろう。現代でも科学的に証明できない現象は数多くあるが、それでも、今この時まで分かっていることを理解しておくことが、初等教育に携わる人たちにも教育の質を上げることに直接つながるのではなかろうか。

結局何が言いたいのかと言うと、やはり、小さい頃から難しくてもいいから本質を子供たちに見せてあげることが大切なのではないかということ。学習指導要領を逸脱するから教えないではなく、発展学習として彼らにとってのブラックボックスを解体してあげることが重要なのだ。そして、その箱の中身を知ることで、表に出ている現象を理解することが容易になる。

基礎的な理解は難しいことに支えられているのだ。基礎であるほど難しいのはブラックボックスへのアクセスを避けられないからだと言えよう。だから、基礎を教える人ほど、ブラックボックスの理解に努めて欲しい。基礎の上に応用が乗っかるのではなく、基礎と応用は相互に影響を与え合っているのだ。そういう認識があれば、自分が採るべき教育的指針を間違えることはないだろう。あとは、時間をどうやって確保するかの問題なのかもしれない。

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2006年05月28日

鼻差

大阪からマンドリン時代の友達が突然の上京。飲み会のセッティングもかなり急だったので、まず人が集まるか不安だった。実際に集合場所に集まるま何人来るのか予想はつかず、とりあえず、事前に5人分の席は確保していた状態。が、彼の人徳だろうか、待ち合わせ場所の有楽町京橋口には8人もの人が…。そんなに来る気があったなら、連絡くれよ~と心の中で叫びつつ、いまさら予約した居酒屋を変えるわけにもいかないので、5人のところを8人で突入とあいなった。みなさん、狭くて申し訳なかったです。でも、なんか密集している感じが仲良さ気でいいんではないか。

今回の集まりで印象に残ったのは「結婚報告」が相次いだこと。大阪から来た友達もそうなのだが、もう一人、競馬好きのお方が結婚を決めた。しかも彼らの挙式の日程が1週間違い、そして、嫁の名前が同じ。何なんだ、この偶然、いや必然だったのか。とにかく、おめでとう!!これからもずっと仲良くしていって欲しい。なので、秋は結婚式ラッシュで週末が大賑わいだ(ちゃんと呼んでくれるのかな…)。

2次会には、もう一人参加者が増えた。しばらくうつ病を患っていたが、最近快復傾向にあるらしい。仕事にも行きだしたようで周囲の人もホッとしているだろうが、ぶり返さないよう慎重に行動していって欲しい。彼の話を聞いている分には、随分と元気な様子なので、変に同情するようなことはしないでいた。僕の周りには、うつ病もしくは抑うつ症状を呈している人が多い。まさに現代社会の投影図の中に、僕らはいるのかもしれない。ホントは僕だってつらいが、人前では弱みを見せないようにしているだけなのだ。でも、まだカッコつけようと思っているだけ、精神力が残っているのだと思う。

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2006年05月26日

ブロガー多し

今日はせっせと本郷で実験。前の研究室で、方をつけなければならないものが残っているので、しばらくは、わらじを二足履いている感じ。学生時代に滞納していた「教室費」を半分支払う。それでも、まだ万単位で未払い分があるのだ。在学中ほとんどお金払えなかったからな…。秘書さんは足首をひねって、びっこを引いていた。GW中、観光先で階段を踏み違えたようなのだ。骨は折れなかったようなのだが、結構痛々しいギブスのようなものをしている。

生理実験なんて久しぶりにやるもんじゃない。全然うまくいかなかった。以前と同じように手順を踏んでいるのだが、細胞の応答性がまるで違う。生き物だからね~、またくじけずに頑張るとするか。データがゼロだとホントにしょげるよな。しかも、いろんな人から「新しいところはどうですか」と聞かれるので、話しているうちに結構時間が経ってしまったりして、あまり捗らなかった。久しぶりに行くとこうなるのは見えていたが、まさしくその通りという流れ。6月は集中してこっちの仕事を片付けてしまおう。

この間、「ゴルジ染色」についてググッていたら、こっちの研究室の後輩のブログを見つけてしまった。実名は出ていないのだが、文の内容と顔写真から完全に断定できたのだ。なんか見てはいけないものを見てしまったかのような感じを受けてしまうものだな、こういうのって。でも、怖いもの見たさで、どんどん読んでいってしまうものなのだ。もちろん、ブックマークもつけてしまった。試薬を作っているときに、彼が部屋に入ってきたので、そのことを言ったら、「密かに楽しんでください」と言われた。あと、「人気ブログランキングお願いします」とも。しかも、そこから他の後輩のブログへのリンクも張ったりしていて、一種のコミュニティを形成している。ここで紹介してもいいのだが、なんとなく、そっとしておこうかと思う。

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2006年05月25日

世界地図

とりあえず、申請書を書き切った。締切が迫っていただけに、かなり時間的に切羽詰っていたが、なんとか形にすることができた。どこに申請書を書いていたかというと、兵庫県にあるあの巨大な放射光施設である。僕が今求めているのは、輝度の高いX線だ。ここへ行けば、僕の見たいものが見れるかもしれないという可能性に賭けて、思い切って利用申請を出してみたのだ。最近は利用者も多く、利用するための審査も厳しくなったようだが、とにかく今日のサーバーの込み具合は尋常じゃなかった。提出締切が近いせいで、申請用のページが表示されるまで5~10分余裕でかかる。書き込まなければならない欄は5ページほどあったため、書いては待ち、書いては待ちの繰り返し。最終的に申請が完了するまで、2時間くらいかかったような気がする。もう文面はできていたのに、登録に時間がかかるのは結構ストレスである。向こう側としても、1年に2回くらいしかこんなにサーバー混まないんだろうけど。

今は実験をする研究室に所属しているわけではないが、やはりコンピューターの中から真理が突然湧き上がってくることはない。自然科学をやっている以上、僕の観察対象は自然なのだ、もちろん、特に生物。さすがに実験室を持って毎日実験するわけにはいかないが、3日間くらい大型施設で大量にデータを取ってきて、じっくり後で解析するって事くらいはできそう。やはり、僕には生データがないと研究を続けるモチベーションが上がってこないようだ。コンピューターは僕にとっては単なる道具の一つで、有効に使わなければただの遊び道具になってしまう。本気でやればコンピューター遊びも研究になるわけだが、やはり今の自分が研究で満足するためには、自然との対話が必要だ。

僕は生理学を中心にやってきたから、生命を維持するための機能を見たいのだが、じゃあなぜ、構造を見るための施設へ行くの?っていう疑問が湧くと思う。その答えは簡単で、機能が解析できるほど、その構造体は明らかになっていないからだ。全体の構造も分かっていない状態から機能を解析するというのは、相当な労力を消費しなければならない。例を挙げれば、地図を持たないで世界一周するようなものだ。世界地図がなくても世界一周できる人はいるだろうが、ほとんどの人は途中で頓挫するだろう。だからまず最初に地図を描こうと考えるのは自然な発想である。いまのボスが過去に携わったゲノムプロジェクトも一種の地図作りであった。はっきり言って、当時はそんな地図作りに興味はなかったが、今はその大切さがよく分かる。次に必要な地図、それを作成できる可能性が僕の研究計画にはあると信じている。

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2006年05月23日

初の基盤棟

柏キャンパス基盤棟にいる工学部の先生に自分の研究に対する意見を聞きにいく。丁寧に対応してくれて、とても好感度の高い先生だった。僕のやりたいことも理解してくれたようで、「壮大だね~、これができたらノーベル賞か」と茶化されたが、そのプランの遂行方法について真剣に議論してくれた。とにかく、とある大型施設を利用するためには、彼の助力が必要で、本当に僕一人の手では何ともしようがないのだ。技術的には、一部分に関しては実行可能なレベル。今後、技術が発展して研究の視野が広がるかもしれない。その可能性にかけよう。この3年で、僕ができることは、あくまで土台作りだ。この土台を踏んで僕の思い描いた地図を次世代の人が描けるようになればいい。その小さな一歩が僕に踏み出せるのか、結果が出るのはまだ先だが、やれそうなことから順次片付けていこう。明日は、施設利用の申請書を書き上げるだけで日が暮れるだろう。締切が木曜日と差し迫っているので、一気に方をつけて、また次の相談に行かなければ。

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2006年05月21日

学問の自由

ブログの衣替えをしてみた。今日は気温が久しぶりにググッと上がったので…、というのはあまり関係ない。思いついたからやっただけの話である。こんなきまぐれだから、仕事にむらが出るんだろうな、やりたくないことはとことんやりたくない。だが、今は研究のことばかり考えている。結構これは今までにないことだ。休日は研究の事なんか忘れて遊ぶというのが定石であったが、いまや研究の事を考えるのが楽しくて仕方がない。まだ研究計画を立てている段階だから、そういう想いが溢れてくるのかもしれないが、それでも楽しいことは心地よい。これも今のボスのおかげであろう。

とにかく、僕のやりたいことをやらせてくれる。もちろん、技術的な障壁が高すぎれば、できないことを忠告してくれるが、基本的に僕の行動を制止することはしない。ここまで自分が自由だと逆に不安になることもあるが、自分が完全に解放されている快感には代えられない。こんなに好き勝手に自分のやりたいことを提案できるところは、やはり大学しかないような気がする。これで失敗したらすべて自分の責任、その重い責務が代償となるが、何といってもやりがいがある。とにかく、今考えている研究計画が軌道に乗るように、いろいろ手配しなくてならない。もちろん、失敗する確率が高いのは、承知の上だ。それでも、やる気だけは、これまで以上に燃え上がっている。

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2006年05月20日

怪しい雲行き

朝から天気が悪い、これがまた、お腹の中の天気もである。学校に行ったはいいが、30分おきくらいにトイレに行っていたのではないか、今日はミーティングでプレゼンしなくちゃいけないのに、何でそうなるんだ。もちろん、これには心当たりがあって、昨日の夕食が影響していると思われる。

本郷でアナン事務総長の話を聞いた後、前の研究室で実験の準備をし、帰りがてら久しぶりに気に入っていたカレー屋に入店した。働くようになってから初めて店に入ったこともあり、学生の頃より少し多めに料理を注文してしまう。タンドリーチキンも4ピースしっかりあり、これだけでも十分じゃないかと思えるほどであった。それに加え、マトンカレーとガーリックナンも一緒に頼んでしまったため、最後の方は残した方がいいかなという考えが頭をよぎる。でも、ここは貧乏癖が抜けない、どうしても全て食べてしまうのだ。久しぶりにお腹が膨らむほど食べた。それだけならいいが、やはりカレーはスパイスが効いていて、僕の内臓は大きく刺激を受けていたようだ。その上、うちに帰ってから牛乳を飲んだりしたのも悪影響を及ぼしたのか、胃の中でカレーがマイルドになることはなかった。

今日のお昼ごはんはお弁当を注文していたのだが、おやつの時間になっても、どうもお腹の調子が回復しない。結局、そのお弁当を食べようにも、胃が受け付けなさそうで、食することを放棄。誰か僕のお弁当食べない?と聞いたところ、秘書さんが心配して、僕にお薬を勧めてくれた。ありがたや、さっそく某製薬会社の漢方胃腸薬を服用、これが小一時間もすると大分調子が上がってくる。やっぱり飲んでみるもんだね、薬って。

その後、竹内さんの講座を聴きに新宿の朝日カルチャーセンターへ。たけしのコマネチ大学数学科で解説を行っている仕事の関係上、講座の内容もその補講に近い。講座の名前が「コマ大補講」だったら、もう少し受講生が増えたかもしれないと笑っていた。実は、これまでテレビは観ていなかったのだが、初めて昨日の深夜にやっていた番組を拝見した。見ているだけでも結構面白くて、また来週も時間があったら見たいな~と思えた。今日の講座も来週放送される問題の一部を教えてくれた。あれっ、これじゃ見る必要なくなってしまうんじゃないのか。いや、いいものは何度見てもいいはずでしょう!

帰りは胃に優しい温かいうどんを食べて帰宅した。なんとか明日には快復しそうだ。

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2006年05月19日

コフィ・アナン講演会

国連事務総長のアナン氏が来日している。そして、今日はそのアナン氏が東京大学で名誉博士の称号を授与される。それに伴う記念講演会を聞きに安田講堂までやってきた。ここに入るのは、カルロス・ゴーン氏の講演を聴きに来て以来2回目となる。講堂の周りは厳重な警戒態勢、黒塗りの車も数台脇に止まっている。その車のナンバープレートも随分と特殊だ、こんなの見たことがない。入場には手荷物検査の後、身分証明書を提示しなければならない。何もしていないのに、なぜか緊張してしまってドギマギしてしまった。

同時通訳もあったのだが、頑張って原語で講演を聴いた。彼の英語はゆっくりでとても聞き取りやすい、なんとか内容についていくことはできた。基本的には核問題についての話題が中心、唯一の被爆国であるから、そういう流れになってしまうのだろうか。イランなどでの核開発の問題を懸念しながら、核拡散防止のため、日本の助けが必要だと訴えていた。何度NPTIAEAという言葉が出てきたことか。そのために日本の科学技術が用いられるなら、惜しみなく使ってくれ。

僕は国連に入りたいと思っていた時期がある。UNESCOの活動に参加することで、世界の科学教育活動を支援し、人類の文化的活動を発展させていきたいと考えていた。じゃあ、国連の職員になれば、すぐにそういう仕事に携われるのかといえば、全く逆だ。文化的活動を指導していくためには、それなりの専門性がなければならない。特にサイエンスの分野で国連のプロジェクトを牽引するには、それ相応の実績が必要だ。自分が国連の力になるためには、幅広くて豊かな実践力を大学で身につける必要があると直感したのだ。平和活動への貢献が前提だが、その上にさらに知識を積み上げることで文化活動を推進できる。ここは急がば回れ、確実にUNESCOの力になるには、40代までは研究をしていこう。そして、本当に必要な科学とは何なのかを、それまでに考えておこうと決意したのだ。

実際に40代になって、UNESCOに行くかどうかは分からない。その時、どういうことを考えているかも自分では想像もつかないし、思ったように研究が進まないかもしれない。最終的に自分の進路など全く見えないのだが、自分の好きな方向を見据えて行動していけば、なにかしら良い結果を生むのではないかと信じている。ここへきて、国連事務総長を目にすることができたのも何かの縁だろう。しばらくまた、国連の活動に目を配りながら、個々人の幸福を追求する科学のあり方を洞察していこうと思う。便利さが増すことが人々を幸せにすることではないはずだろうから。

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2006年05月18日

響かない振動

夕方5時から柏キャンパスは大賑わい。新入生を歓迎するためにバーベキューパーティを屋外で開いたのだ。毎年やっているらしい、ビンゴゲームなどもしたので、僕も密かに盛り上がってしまった。一等はポータブルDVDプレイヤー、二等はディズニーランドペアチケットなどと結構賞品が豪華だったのだが、残念ながらお宝を獲得することはできなかった。ビンゴゲームに熱中してバーベキューのお肉をほとんど食べることができなかった。衣服に香りだけが滲みこんでくる。

御響という和太鼓の団体が演奏をしてくれて、会場は雨にもかかわらず活気づいていた。和太鼓なんて、こんな機会がないと聴けないよなと思い、聴き入っていたのだが、どうも違和感を感じる。太鼓の音は大気を揺るがし、僕の腹に響くような感じで伝わってくるのだが、心が響かないのだ。立ち回りもカッコイイし、演奏も迫力があるのだけれど、なんで感動しないのだろう。和太鼓の演奏の中に琴のキンとしたメロディーが大胆に調和して、創作性も高いと思うのに。あまり、そんなことを追究してもしょうがないかな、今回の心の状態はそういうところだったということで。

アマサイさんのトラックバックで、最後に
>ところで、女性は男性より発話能力に優れている、おしゃべりである、と言われていますが、これはどうしてなんでしょう。ブローカ野が違うんでしょうか。
という問いかけがありますが、よく言われるのは「女性の方が脳梁が大きい」からという説です。脳梁が大きいということは、右脳と左脳の情報交換がより活発に行われるということ、つまり、左脳にある言語野にも、右脳からの情報がどんどん入ってくるわけです。だから、女性の方が喋りたい衝動に駆られることが多いと言われています。そして、イメージや非言語的なものまで言語化しようとするから、理屈では説明できない会話も立ち上がることでしょう。逆に、右脳には左脳の情報が入っていきやすいので、空間認知などが言語情報によって妨げられるという側面があるようです。脳梁の神経線維は約2億本、大きさは男性のより20%も大きいので、単純に計算すれば、女性の方が4千万本も脳梁の繊維が多いことになります。そう考えると、脳梁の与える性差の影響は結構大きいのかもしれないと思ってしまうところです。

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2006年05月17日

技術の壁

研究遂行に必要だと思われるアイデアを実行に移すために、工学部や物性研究所の先生にメールをしてみる。自分のやりたいことをメールでは簡潔に書いて、残りは実際に会ったときに話をしたいという感じで。意外に早く返事が帰ってきたので、とても嬉しく思えた。分生研の先生にメールした返事は未だ返ってこないのに。やはり、同業者には冷たいのかだろうか。自分の研究の立場が危機に曝されるという気持ちが大きいのかもしれない。とにかく、僕の今のキーワードはX線である。なぜ生命科学をやろうとしている人間がX線なんだと思うかもしれないが、これは自分なりには結構イケるのではないかと密かに期待している。うちの助手さんも期待して、応援してくれているので、ぜひこのプランがうまくいくことを願っている。技術的にそれは不可能だよ、きみ~と言われてしまえば、そこで全ては終わってしまうのですが…。なんとかならないかな~。

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2006年05月16日

運動不足のブローカ

発話をするというのは運動するのと一緒だ。言葉を出すためには、口を開け、唇を動かし、舌を必要なポジションに置きながら、肺から空気を断続的に送り出す。こんな複雑な動作を難しいことを考えずに行えてしまう、いや、むしろ考えるとできなくなってしまうわけだ。これだけ難しい動作なのに、人間はみんな均等に発話できると考えるのはおかしいはず。運動が得意な人と不得意な人がいるように、発話もその対応関係が明らかに成り立っているように感じる。

発話に関係する言語野(ブローカ野)は運動野に近い、逆に意味を理解する言語野(ウェルニッケ野)は体性感覚野に近い。その他、読み書きの中枢と呼ばれる言語野も広義的にはウェルニッケに含まれる。つまり、言語野で運動性のブローカ野だけは前頭葉に孤立しているわけだ。ブローカ野はそんな孤独にも負けず、発話に関係する運動器官を巧みにコントロールし、言葉を出力している。場合によっては、うまく表現できない時もあるだろうが、彼はどんな時も必死になって、必要な情報を音声に変換し続けているのだ。

会話がうまい人は運動神経がいいのではないだろうか。僕は子供の頃、運動も苦手だったし、喋るのも苦手だったから、なおさら運動神経の動きは鈍くなり、必要最低限の動作しかできなくなってしまった。ウェルニッケのほうは人並みだと思うのだが、ブローカに関しては十分に発達していないように感じる。やはり、子供の頃に運動しておくことは重要なんだな。いまさら、脳の配線を組み換えるのは至難なのだから(もちろん、「脳をめぐる冒険」に書いてあるように不可能ではない)。

このまま、プレゼンテーションのような人前で発表が苦手なままだと、今後支障が出そうなので、いまさらでもいいから、ブローカを鍛えようと思う。どうやって鍛えようか、ブログでいくら書き込みをしてもブローカは発達しない、発話しなければ。人と積極的に会話をするのはもちろん大切。でも、研究室の環境はそう話してばかりいられる所ではない。じゃあ、どこで発声をする?……歌を歌おう!!ということで、歌を練習することにした。歌が下手なのはブローカが未熟だからじゃないのか、そんな気がする(論文は探していない)。ここのところ続いている運動不足、腕立てや腹筋もいいけど、まずは発声器官の筋肉を鍛えてみようと思う。結果はいかに…。

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2006年05月13日

べき乗の法則

遺伝学研究所から小笠原さんが来て、うちの研究室でセミナーを行った。彼は進化に興味があって、進化の数理モデルを組み立てている。もともとは数学が好きだったらしい。遺伝子の発現量はジップの法則に当てはまることを、そこの研究室のボスが見出していて、じゃぁ、ジップの法則が成り立つ生物学的基盤は何なのかという問いに答える研究をしていた。彼の考えたモデル式は非常にシンプルで、ある世代tに発現している遺伝子の発現量をGi(t)と定義し、その次の世代における遺伝子の発現量は、そのGi(t)にランダムな係数Ci(t)を掛けたものになるというものだ。そのGi(t)の中にはダイナミックレンジが組み込まれているようなのだが、一体どういう形でそれが表現できるのかいまいちよく分からなかった。同じモデルの式を立てていたとしても、それを解釈する角度が違うと全く異なるモデルになってしまうのが理論の世界。細胞内の酵素反応で同じような式のモデルが成り立つらしいのだが、そのモデル式に突然変異が遺伝子機能にあまり依存しないで起こる進化を適用したのは彼が始めてらしい。経験則であるジップの法則を成り立たせている生物学的な本質を見極める作業は難しい。それに果敢に挑戦している姿を見て、僕は結構うれしく思えた。ジップの法則の次はスモールワールドネットワークか。このネットワークが実現する生物学的根拠には僕もかなり関心がある。インターネットの世界だけでなく、ニューロンのつながり方にも関係してくるからだ。

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2006年05月12日

ベガルタ vs レイソル

結局、車の後部パネルはディーラーに頼んで取り替えてもらうことにした。部品代と工賃を合わせても1万円だというので、まあそれ位ならいいかなと。割れたパネルを継ぎ接ぎにして修復してもよかったのだけど、「それじゃ車検通りませんよ」って、でも車検なんてまだまだ先なんだけれどね…。でも、パネルが割れているのが分かると見てくれがやっぱり悪いから、取り替えることに決めてしまった。2~3日で部品は来るっていうし、交換作業だって、一時間もかからないだろうから、週末にちょっくら立ち寄ればいいだろう。もうぶつけないようにしないとな。っと思って慎重に運転していたら、後からデカイ車に煽られた。世の中理不尽だよな、ホント。

研究室の窓から目の前にある柏の葉公園が見渡せるのだが、そこには大きなサッカー競技場など、野外スポーツ施設がいろいろある。で、そのスタジアム、なんと柏レイソルのホームスタジアムなんだそうな。でも、ホームといっても、第2ホームらしく、第1は柏駅の向こう側にあるらしい。こんな間近でプロのサッカーの試合をやっているのか、そういえば、Jリーグの試合って見たことが無いな。今度見に行ってみようか、なんか空いてそうだし(偏見だ)。よし、ベガルタ仙台戦があるときにでも行ってみるか、もちろん、応援するチームは…、ベガルタですけど…。

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2006年05月11日

三省堂7位

脳をめぐる冒険」が神田三省堂書店科学書(?)部門で7位に入ったようだ。これは嬉しい!自分ことのように嬉しくなる。買ってくれた方どうもありがとう!まだ買っていない人、もし本屋でみかけたらパラパラめくってみてください、よろしくお願いします。一方で、竹内薫さんの特設ページで学術的な補足を僕が書いている。現在第5章まで公開中、今週中には全部書き終わる予定なり。次の第6章は「心のありか」ということで、科学的見解を書くのが最もヘビーなところなのだが、何とかしのぎたいですな。また出版社である飛鳥新社のウェブサイトでは、著者の藤井かおりさんのもう一つのストーリーがオンラインで読むことができる。「脳めぐ」本+サイドストーリー+学術解説の3点セットで何がなんでも絶対お買い得っ!だと思いません?(いや、押し売りは致しません…)

今日は一つ良い研究アイデアが思いついた。実現可能なのかどうかは分からないが、今まで考えていたプランよりかは現実味がありそうなアプローチなのだ。それでも、いざ取り掛かってみたら予想以上に時間がかかるということはよくあること。具体的にどこまでできるのか、この段階で入念に下調べをして、次のミーティングまでにアイデアを提示できるようにしておきたい。この仕事をステップにして、次の研究の起爆剤にもなる気がするので、ゆっくりと着実に息吹を育んでいこう。

柏キャンパスにある生涯スポーツ健康科学センターというものが一般に公開されたようだ。歳をとっても効率的に運動するにはどういう負荷をかけたらいいかという研究をしているらしい。その施設として、トレーニングジムみたいのがあるのだが、これがなんと学内関係者なら無料で使えるというのだ。ウェイトトレーニングとかはできないみたいだが、有酸素系のマシーンは結構な数があるよう。トレーニングウェアと運動靴を持っていけばいいらしいので、運動不足解消には持って来いかもしれない。こんなラッキーなことはあまり無いだろうから、今月中にはウェアとシューズをそろえて、ジムの初心者講習会を受けに行こう。もう体力がげっそり落ちてしまっているから、ちょうどいい負荷で運動できるかもしれない。

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2006年05月10日

仕事はトーク

とにかく研究についての話ばかりしている。同じ立場の助手さんを捕まえては、ひたすらトーク、軽く3時間くらいは過ぎる。別にお酒も飲んでいないし、飯を食いながらでもない(飯も一緒に食いながら話もしたけど)。今僕の研究を進めるためにはコミュニケーションが必要なのだ。人とのやり取りの中から生まれるうぶなアイデアを一生懸命に捕らえようとしている。自分がやりたいと思っている核の部分は結構しっかりしているのだが、それが綺麗に成長するための糧を補給し、目指すべき方向にちゃんと誘導していかなくてはいけない。一つずつ着実に、そして時には大胆に。緻密な論理にかぶせる根拠なき直感をどこまでハンドリングできるか、そのバランス感覚が僕の仕事の質を決めるのだろう。全く生産性が無いように映る現状が一瞬にしてひっくり返ってしまうインスピレーションの創出を目指して、ひたすらに情報のインプットとアウトプットを繰り返す。

で、いきなり車の右後方をぶつけてしまった。ブレーキランプのパネルが割れてしまい、電球が半分裸だ。スズキのディーラーを見つけて修理してもらわなきゃな、いくらかかるんだろう。プラスティックのパネルの交換だけならそんなに高くつかないと信じているが、そんなに甘くないだろう。接着剤で復元してもいいだけどね、やっぱり割れ目が目立つだろう。イエローハットとかなら安く直してくれるのかな。でも、ネットで検索したら近くにディーラーがあるようなので、とりあえず電話でもしてみるか。4年運転していないと、こういう腕になってしまうんだな、本体に傷が付かなかっただけいいとしよう。心はしっかり傷ついていますけど…。

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2006年05月09日

銘記されない記憶

昨日はあばあちゃんの米寿のお祝いで帰省した。僕が生まれてからずっとおばあちゃんなんだけれど(当たり前か)、88歳とは思えないおばあちゃんである。とにかく、肌の色艶がいい、身体のどこかが悪いとはとても思えないような明るい笑顔、文字通りの健康体である。裏の通りにある「魚勝」というお店で親戚を集めて宴会、孫どころじゃない、曾孫(いとこの子供)まで参上する大賑わいな会になった。もう結構痴呆が進んでしまい、今さっき言った事も憶えていないが、この会が開かれたことは憶えておいて欲しい。僕がまだ子供の頃に遊んだ記憶が鮮明に残っているように、お祝いで渡した花束の鮮やかさを憶えていてくれることを望んでいる。そう強く祈りながら、家を後にしてきた。

人のコミュニケーションは記憶がないと成り立たないことが実体験を通して理解できる。人には記憶によって支えられている活動が明らかに存在するのだ。痴呆・ボケの研究をしてくれと言われることもあるが、記憶の研究は多くの人が従事している。アルツハイマー病の機構も昔に比べたら、だいぶ理解が進んだはずである。でも、確かにそれでも未知な部分が数多く点在し、人の記憶というものの実体は掴みきれていない。記憶が僕らに残す鮮明さは一体どこから来るのか、空を仰ぐ思いだ。だから、藁にも縋りたくなる思いだろう、僕だっておばちゃんの呆けを治してあげたい。でも、いま僕ができることは、おばあちゃんの長寿を一緒に喜ぶくらいしかないのだ。おばあちゃんが幸せだと思える瞬間を少しでも増やしてあげることしかできないのだ。それでいいよね、おばあちゃん…。僕は心の風邪をひいている人たちを助けてあげられるよう頑張ります。

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2006年05月07日

時間は切り離せない

ゴールデンウェークは体調を崩して、いわゆる連休を棒に振った状態と言えたのかもしれない。日曜日にマンドリンの人と飲み会をやった次の日から体がしんどくなってきていた。火曜日くらいには本格的に熱を持ってきて、アイスノンを頭に乗せて就寝した。頭を冷やすと随分楽になるのだが、体の重さはあまり改善されず、結局ゴールデンウィーク中はやろうと思っていたことがほとんどできなかった。それでも、飲み会の時に話したマンドリン同期の掲示板を作ったり、メーリングリストを作ったり、同期で旅行に行くのかというような投票サイトを作ったり、とりあえずあまり考えなくてもできるようなものは、とっとと組み立ててしまえと思い、一気にやってしまった。後はしばらく放っておけば何とか動くだろう。だから、みなさん何でもいいのでレスください。その後も、依然として睡眠に時間をとり、なんとか調子が戻りつつある。新生活で疲れも出たのだろう。それがゴールデンウィーク中だったことで、学校を休まなくて済んだのは不幸中の幸いだったのかもしれない。

病が高じて、「脳をめぐる冒険」の解説が滞ってしまった。今週中には終わらせるつもりであったが、来週に跨ってしまいそう、竹内さんごめんなさい…。解説を書こうと思っている部分はあらかじめ本にタグ(Post it)を付けてあるので、何とか見通しは立っている。あとは文章を書く気力が戻ってくれば大丈夫だろう、そこは時間が何とかしてくれそう。身体がおかしくなると、基本的に気分も沈んでしまうので、ここでやる気を一気に復活させないといけない。ああ、ホントに心と身体は一体なんだなと痛感するのであった。

連休中、頭がボ~としながらも、時間という情報量の大切さについて考えていた。得てして研究というものは取り扱いを容易にするため、見たいものに焦点を絞り、不必要な情報を捨てなければならない。たとえば、ある組織の形態を見ようと思って、顕微鏡を覗く時は、基本的にその組織は時間軸を失っていることが多い。組織を染色するためには動物をホルマリンで固定してから、見たい組織の切片を作成し、その固定した時間に存在した形態のあり方を観察するのである。もちろん、形態の観察に必要な条件を満足していることが重要で、研究の目的にかなっているものであるから、それは十分といえるほどの情報量を僕らに与えてくれる。複雑すぎる生命の仕組みを紐解くには、一つずつ対象を絞って観察していくことが最善の方法で、これが現代科学の最も得意な還元主義的手法といえるだろう。何か大切なものを後世に残すということはそういう手段を用いるのが当たり前である。実際に研究データは論文という形で、文書に残って次の世代に受け継がれていくわけなのだから。文書になるということは時間軸を失っている状態だ。保存性を大切にするのには時間に依存した変化が起こると困るのである。しかし、時間軸を失った代償として、その中に記録されない何かがあるはずだ。何か大切なものを失っている事象から、僕がワクワクするようなダイナミックな発見が取り出せるのだろうか。新しいアイデアは生まれるかもしれない、けど、新しい知見を得ることは難しいように感じる。

時間のダイナミクスの中に生命の躍動感が潜んでいる。その躍動感を保存することは困難だ。それでも、人間は録音・録画機材を発明し、人間の動的部分を写し取ってきた。それを再生するのには、それがかかっただけの時間を要するが、その中には、時間によって刻まれた人間の魂みたいなものが見える。その魂は変化し続けるため、僕らはそれを確実に捕らえることはできないが、それを感じることができて、その一部を胸に留めておくことくらいはできる。逆に言えば、時間軸を失った活動からヒトの魂が湧き上がってくることはないだろう。そうしたら、躍動感のない知など人間にとって必要なものになりえるだろうか。躍動的な知を追及するのが研究の面白さであり、その原動力となる。その色彩が失われてまで研究に携わっていたいとは思わない。僕が研究を続ける限り、このダイナミクスの源を求め続けるのは必至だ。この信念を忘れないようにして、連休明けも仕事をするぞ。

投稿者 はるお : 22:21 | コメント (178) | トラックバック