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2006年12月20日

韓国のクローン犬

ソウル大でメスのクローン犬が誕生したそうです。韓国のクローンと聞くだけで信憑性を疑ってしまいますね。しかし、今回の発表だけでは、真偽を確かめる方法もありません。去年、同グループが作成したオスのクローン犬「スナッピー」を引き合いに出して、その妥当性を考察してみました。

2005年8月に世界初のクローン犬誕生の報告がNatureに載りました。

しかしながら、黄禹錫のヒトES細胞捏造が12月に発覚し、クローン犬にも疑いのまなざしが向けられ、Nature側で犬のDNA鑑定をすることになりました。その結果がこれこれの2報です(2006年3月)。

この検査により、クローン犬「スナッピー」は本物のクローンだと認定されました。では、どのような検査を行ったのでしょうか。それは信じられるものなのでしょうか。

まず、スナッピーがクローンであることを証明するためには、少なくとも2つの事実が示される必要があります。
1.体細胞を供給した犬の核DNAがスナッピーの核DNAと一致すること
2.未受精卵を供給した犬のミトコンドリアDNAがスナッピーのミトコンドリアDNA
  と一致すること(ミトコンドリアは母性遺伝だから)。

2連報のうち、最初のDNA鑑定は、NIHやプリンストン大学のグループが行いました。彼らのデータを読んでみると、次のような結論が導けます。
・体細胞を供給した犬の核DNAは、スナッピーの核DNAと一致した。
・体細胞を供給した犬のミトコンドリアDNAは、スナッピーのミトコンドリアDNA
 と異なっていた。
これでは、不完全ですよね、未受精卵を提供した犬のミトコンドリアDNAと一致するのかどうかのテストが行われていませんから。実際、彼らは未受精卵をサンプルとして供給されなかったことについて言及しています。

そこで、2報目に未受精卵をサンプルに含めた検証がなされています。しかし、検証した研究機関は、スナッピーを作ったグループが所属するソウル大の調査チームです。そのデータを読み解くと、
・体細胞を供給した犬の核DNAは、スナッピーの核DNAと一致した。
・体細胞を供給した犬のミトコンドリアDNAは、スナッピーのミトコンドリアDNA
 と異なっていた。
・未受精卵を供給した犬のミトコンドリアDNAは、スナッピーのミトコンドリアDNA
  と一致した。
・未受精卵を供給した犬の核DNAは、スナッピーの核DNAと異なっていた。

つまり、検証結果は、ソウル大のものがあれば十分クローンを証明できるものではあります。ソウル大は未受精卵をサンプルとして用いた後半2つの実験結果を持っているため、この結果が事実であるなら、クローン犬の存在は、めでたく立証されるわけです。

なので、ソウル大の検証グループが本当のことを言っているかどうかが大変重要な要素になります。まさか大学ぐるみで捏造に関わっているとは、到底思えないので、そこは彼らの実験データを信じるしかありません。今回の報道に関しても、まだデータは公開されていませんし、さらにデータが大学によって検証されたとしても、それが本当であるかどうか確証はありません。第3者をどういう立場に置く必要があるのか考えさせられます。ソウル大の調査機関が正常に機能していることを祈りつつ、今回の事実が本当であることを願っています。

投稿者 はるお : 01:48 | コメント (692) | トラックバック

2006年12月14日

機はまだまだ先

科学革命に憧れはあるものの、そう簡単に革命が起こることはありません。今日も平凡な知見、平凡な考察が繰り返されます。こういうことができれば、凄いことが分かるぜと思いついたって、それを実現するには確かな技術が必要なのです。いま出来ることギリギリのことをやるのが研究なわけです。それ以上のことは、妄想に過ぎなくて、機が熟するまでは忍び続けなくていけないわけです。革命を起こすための条件が全て揃うまで…。

しかし、このご時世、科学者もサラリーマンです。3年もすれば任期が切れてしまい、その間に成果が出なければ、研究者をやっていられなくなります。一発の大革命より、安定した科学的事実の提供が求められます。既存の枠組みを壊す必要などありません。むしろ、その枠組みの中で堅実に業績を積み重ねていく人が勝ちます。与えられた仕事と割り切れば、意外とスムーズに仕事が進むのかもしれません。本当に頭のいい人は、冒険心と堅実さを良いバランスで転がしているのだと思います。

僕が今取り組んでいる仕事は、結局3年で全体像の見通しがつかないだろうと予想されるわけです。10年あれば、形が浮き出てくると感じられるけれど、そんな長期的なプランは現実的に受け入れられません。ちゃんと、他人様が認めてくれるような仕事を並行させるべきだろうか。でも、自分の興味がそこに湧かなければ、結局中途半端なものを作ってしまうでしょう。なかなか適当に研究を進めることができないのが僕の弱点なのかもしれません。

投稿者 はるお : 23:53 | コメント (287) | トラックバック

2006年12月07日

Physiology & Physics

“生理学 (physiology)”と“物理学 (physics)”は異なる学問のように聞こえますか?実は、ヒト(という動物)を“物理学”的に扱った学問を“生理学”というのです。英語のスペルを見てください。"physiology"と"physics"です、何となく綴りが似ています。共通部分は"phys(io)-"、これはラテン語で「自然 (natural)」という意味です。"-logy"は「科学 (science)」、"-ics"も「科学 (science)」、ということで、どちらも「自然科学 (natural science)」というのが原義なのです。ただ、ヒトの身体に関連する物理学を“生理学”と呼んで区別しているだけなのです。

医学部で習う唯一の物理学が“生理学”かも知れません。理学部では、生理学という名は身を潜め“生物物理学”と呼ぶことが多いでしょう(この場合は、ヒト以外の生物も含む)。“生物物理学”から“物”という漢字を(2つとも)抜き取ると、“生理学”です。人間を“物”として扱った学問なのに、“物”という字を外す姿勢に日本人の粋を感じます。やっぱり、人間を物として扱うことは本能的にできないでしょうね。生理学とは、人間を単なるパーツ(分子とか細胞とか)の集合体として扱わず、最高の理性を以って、生体の機能を統合的に理解する学問のように映ります。なんと、気高い思想でしょうか。そんな“生理学”の虜になるのは、僕にとっては必然のようにも感じています。まだ、しばらくの間、“物理学”の思考法を汲んだ“生理学”とのお付き合いは続きそうです。

投稿者 はるお : 00:43 | コメント (356) | トラックバック